これにより、マルセイユは1992/93シーズンのリーグタイトルを剥奪された。タピ氏はその後、脱税も発覚し実刑判決を受け、サッカー界から追放された。

また、1993/94シーズン途中には主力選手のほとんどが移籍していき、チームも翌1994/95シーズンのリーグドゥ(2部)降格が決まったことで、MFドラガン・ストイコビッチ(1990-1994)も契約延長を拒否。

ストイコビッチは、ユーゴスラビア代表として1992欧州選手権スウェーデン大会出場を決めていたものの、内戦と分離独立運動によって、国際試合参加禁止の制裁により出場権を剥奪され(代替国のデンマークが優勝)、モチベーションを失っていた。「半年間」と期限を決めて欧州を離れることを決断し、その行き先こそが名古屋グランパス(1994-2001)だった。しかし、半年どころかキャリア最長となる7シーズンもの間名古屋に在籍し、2度の天皇杯優勝に貢献。監督として2008シーズンに舞い戻ると、2010シーズン、クラブを初のリーグ優勝に導いた。

仮にマルセイユの事件がなければ、この出会いはなかったかも知れない。


ASモナコ 写真:Getty Images

ASモナコの税制問題とFFP違反(2010年代)

モナコ公国に拠点を置くASモナコは、所得税が存在しないタックス・ヘイブンの利点を利用し、選手獲得で優位性を持っていた。しかしフランスの他クラブから不公平との批判を受け、この問題を解決するため、フランスプロサッカーリーグ連盟(LFP)と交渉を行った。

2014年、ASモナコは「加盟に伴う分担金」として、リーグに対して5,000万ユーロ(当時のレートで約70億円)を一括で支払うことで合意に至り、引き続きフランスリーグで戦う権利を維持。これは不正行為ではないのだが、国を跨いだリーグ・アン特有の歪みを金銭で解決した特異なケースと言える。