日本が降伏文書に調印した9月2日を候補日にしているかのような答弁が目につく。 しかし、これこそやってはいけない禁じ手だ。米英など連合国の間では、9月2日は「V-J Day」(対日戦勝記念日)であるが、日本は天皇が国民に戦争の終結を伝えた玉音放送の発信日である8月15日を終戦の日とし、翌日から日本軍は戦闘を停止している。

こうした経緯に反して、ソ連(現・ロシア)は8月15日以降も樺太や千島列島、中国東北部(満州)などで非武装の日本人市民らを殺戮し、国後や択捉などの北方領土を占領するに至っている。仮に石破首相が8月15日の終戦ではなく、降伏文書に調印した9月2日に見解を発出するようなことがあれば、それまでは戦争が続いていたとするロシアの対日戦の正統性を容認、補強することにもなりかねない。

後段の半ばまではその通りだ。が、それがなぜ「9月2日に見解を発出するようなことがあれば、それまでは戦争が続いていたとするロシアの対日戦の正統性を容認、補強することにもなりかねない」のか、筆者には理解できない。9月2日が日本の降伏日であることは、国家間の契約に基づく事実である。

よって「9月2日の発出」が、ソ連赤軍が①満期まで1年ある「日ソ中立条約」を破り、②8月8日の日付が変わるころ満州・北朝鮮に殺到し、③樺太・千島にも8月15日を跨いで侵攻し、④南千島の占領完了は9月5日だった、などのソ連の無法な所業を国際社会にリマインドさせる機会になりはしても、「ロシアの対日戦の正統性を容認、補強すること」になるとは思えない。

石破氏の「見解発出」があろうとなかろうと、ソ連は80年前の東京裁判以来ずっとこの対日参戦を正当化し続けている。東京裁判でソ連代表検事ゴルンスキーは、1時間半の冒頭陳述で「旅順の露国艦隊に対する背信行為は、今回の真珠湾攻撃でも採用された日本軍の一貫した観念だ」と、45年8月8日の無法行為を擁護した。これに同調する国・しない国の考えを、石破見解が左右することなどなかろう。

『占領史録』