
STILLFX/iStock
石破氏も読者らしい色摩力夫に、『日本人はなぜ終戦の日付を間違えたのか』(黙出版・2000年12月初版)がある。1928年生まれの色摩は、終戦の年に陸軍予科士官学校に入学し、戦後東大文学部を出て外交官になった国際法に精通した人物である。同書のプロローグで彼は、要旨こう書いている。
先の大戦で連合国に「征服」され、国家としての継続性や同一性まで失ったドイツと異なり、我が国は、整然と規律をもって降伏を受諾し、連合国が課した降伏条件を誠実に履行した。それなのに、なぜ日本は国際社会の中で毅然とした態度をとれずに来たのであろうか。それは日本人が「降伏」の本質的意義、即ち降伏の法理を正確に理解しなかったからではないか。
続けて色摩は、「事実、今でも多くの日本人は、我が国は1945年8月15日に連合軍に対して無条件降伏したと受け止めている」が「日本の降伏の成立は、1945年8月15日ではなくて、9月2日である」とし、降伏は征服のような勝者の一方的行為ではなく、双務的な契約であると記している。
プロローグの他の要点は、①8月15日は「ポツダム宣言」にいう降伏条件の受諾意向を通告した日であり、②その日に戦争はまだ終わっておらず、③降伏契約が成立した9月2日に戦争は終わった、④「無条件降伏」したのは日本軍であり、日本国は「ポツダム宣言」の諸条件による降伏である、など。
あとがきで色摩は、「(自身の)終戦そのものを巡る素朴な疑問が、ともかく方向を得て具体的に結晶し始めたのは、江藤淳編『占領史録』(以下「史録」)に接してからのことである」と述べている。
9月2日の石破見解発出
「史録」には後で触れるとして、本稿を書こうと思ったのは、石破首相の「戦後80年見解」が醸している議論がきっかけである。石破氏が自虐的で誤った史観の持ち主、と筆者は思っているので、「見解」発出に反対する。そして、この議論の中で「9月2日」の発出について、以下のような論を目にした。