諸外国の実情が知られていたうえに、無免許ゆえの危険性が予測されていたものの、Luup社がサービスを本格的に開始したとき警察はユーザーの無秩序な運転ぶりを見て見ぬふりではなかったか。
1986年に排気量50cc以下の第一種原動機付自転車(スクーターなど)に交差点の二段階右折が義務付けられたときは、全国の交差点で集中取り締まりが行われた。この数年前、スズキが斬新なデザインのオートバイ「カタナ」を発売すると、海外輸出モデル同様の低いハンドル位置への改造が流行して、対策のためあちこちで「カタナ狩り」と呼ばれるほどの取り締まりが行われた。
このほか、車両区分を問わず速度違反や一時停止の取り締まりは四六時中行われているが、サービス開始時のLuup社の電動キックボードは野放し状態だった。「ああやって乗ってよい乗り物」と、都合よく解釈されて当然である。
これでは安全や秩序が崩壊しないほうがおかしい。
私たちは生活圏の安全や秩序を行政や警察任せにするのではなく、自ら望んで作り上げてきた。安全や秩序は善意や常識だけでは手に入らないので、お金を払ったり投資して作り上げたものもあり、これを維持してきた。このコストをLuup社は搾取して、利益を上げているのだ。
1970年代は公害企業が汚染物質を河川や海、大気などに捨て放題だった。現代はLuup社のシェアリングサービスが、私たちの社会が守ってきた資源ともいうべき安全や秩序を破壊しながら商売をしているのだから、これは間違いなく交通公害なのである。
公害企業と政治家とロビイスト
公害は汚染物質が悪いのであって、排出した企業は悪くないなどという理屈は成り立たない。同様に、交通公害を起こしているユーザーが悪いのであって、Luup社は悪くないという理屈も成り立たないのである。前述のように穴だらけの制度を作らせたのが同社で、おぼつかない乗り物を、おぼつかない人々に提供して、抜本的な対策を怠っているのも同社だからだ。