やはり大革命を経た個人主義の国は違うなという思いを行くたびごとに抱いていたが、その3文字は並列ではなく、合計して5回40日ほどのパリ滞在の経験から自由が突出しているように感じた。
当時もフランスでは大学卒業までの授業料は原則無料であったが、それを支える付加価値税(消費税)が19.6%であったことにまずは驚いた。その中で食料品と書籍は5.5%、医薬品は2.1%であったことにも、日本社会との異質性を痛感した。
パリに通っていた2001年~2010年の日本の消費税は5%であったからである。また日本ではその時代の失業率が4%前後で推移していたが、フランスのそれは8~9%であった。
路頭に迷う
日本語でも失業することを「路頭に迷う」と書くが、フランス語でも同じであり、‘être à la rue’と表現する。
次の3葉の写真は2007年にパリで撮影したものであるが、いずれも個人主義の強い社会における「自己責任」の生き方の一断面ではないだろうか。そこには国家もコミュニティも介在していない。個人のみが析出された姿のまま‘Aidez-moi’(助けてください)と叫んでいる。
まずは歩道に座り、‘Aidez-moi’と手書きした紙を添えた小銭入れを前に置くか、手に持っている異なる肌色の老若男女(男が多い)がいた(写真1)。

写真1
次に、地下鉄の通路や繁華街の街角では、楽器を小道具としたストリートミュージシャンが少なくなかった(写真2、写真3)。

写真2

写真3
また、走行中の地下鉄車両内で突然バイオリンの演奏が始まり、3曲目あたりから車両の乗客に演奏者の相棒の女性が集金に来るという光景も、滞在中も珍しくなかった。
もっとも乗客の大半はその行為に慣れているようであり、知らんふりしていたが、個人主義社会における他者との関係様式の一端を垣間見た気がしたものである。そこには国家もコミュニティも不在であった。