2. たった一つのモーターの故障(1961年)

(画像=イメージ画像 Created with AI image generation (OpenAI))
1961年11月24日、アメリカ戦略航空軍団(SAC)とNORADを結ぶ全ての通信回線が、突如として完全に沈黙した。早期警戒レーダー基地からの情報が途絶え、SACは孤立。
通信網は幾重にも冗長化されており、完全なダウンはありえないはずだった。残された唯一の可能性は、「ソ連による大規模な核の先制攻撃」だ。
SACの全基地に警報が発令され、B-52爆撃機の乗組員はエンジンを始動。核兵器による報復攻撃の命令を待った。しかし幸いなことに、その命令は下されなかった。原因は、全ての通信回線がコロラド州にあるたった一つのリレーステーションを経由しており、そこの一つのモーターがオーバーヒートしたことだった。
3. オーロラに惑わされたスパイ機(1962年)

(画像=イメージ画像 Created with AI image generation (OpenAI))
キューバ危機の最中、米軍のU-2偵察機はソ連を刺激しないよう、国境から100マイル以内に近づかないよう命じられていた。しかし1962年10月26日、北極上空を飛行していたパイロットが、オーロラの揺らめく光によって六分儀の正確な読み取りができなくなり航路を誤った。
結果、偵察機はシベリアのチュクチ半島上空に侵入。ソ連は直ちにミグ戦闘機をスクランブル発進させ、撃墜を命じた。
これに対し、アメリカはなんと核ミサイルを搭載したF-102A戦闘機を派遣し、U-2を護衛して帰還させるという、あまりにも危険な賭けに出た。信じがたいことに、この戦術は成功。さらに衝撃的なのは、核ミサイルの使用判断が現場のパイロットに委ねられていたことだ。