特攻の「過ちを繰り返さない」のであれば、どのような思考に基づいてどのように行ったのかを徹底的に調査・分析する作業が不可欠なはずです。しかし、不思議なことに冷静で客観的な「皇国史観」についての分析は、なぜか“タブー視”されているように感じます。
皇国史観の定義を求めて――「反皇国史観」の著書での記述
さて、普通はこういう「客観的な分析」を調べるには、反対派の著書を読むに限ります。
たとえば、大東亜戦争に勝利するため、アメリカは日本のことを徹底的に調べ上げました。その代表例は、文化人類学者のルース・ベネディクトによる日本人論『菊と刀』です。
もちろん、そういう分析結果がすべて正しいかというと疑問ですが、少なくとも第三者の視点から書いているので、理解の助けにはなります。
そこで、皇国史観を知る近道として、「反皇国史観」の本を読んでみました。そういう本を読めば、皇国史観を徹底的に批判している(はず?)だから、何がベースになっているのかが簡単にはっきりするはずです。
しかし、不思議なことに、基本的なことは驚くほど見事に何も書いてありませんでした。
笑い話のようですが、多くの反皇国史観の本では、「皇国史観の歴史観や成立時期にはさまざまな見方があります」といった表現に終始しており、肝心の核心が見えてきません。「反皇国史観」の学者は、「皇国史観」の正確な定義をせず、はっきりとした内容も不明なまま批判していたでしょうか?
冗談のような話ですが、残念ながらこれは実話なのです。
なぜ正体不明のまま語られているのか?
「皇国史観」は決して単純な思想ではありません。そして、意外にも「反皇国史観」を唱える側の多くが、その正体を真剣に掘り下げようとはしていないようです。
そこには、「政治的に否定すべき対象であり、そもそも研究の対象にすること自体が誤りである」という“空気”が存在しているのかもしれません。