言うまでもありませんが、このことは非現実的です。日本が中立を保つためには、それなりの軍事力が必要です。
これは、中立だったベルギーをナチス・ドイツは蹂躙しましたが、重武装だったスイスを攻撃しなかったことで明らかです。
1950年の「半島有事」の朝鮮戦争では、日本は直接的な戦闘にこそ参加しなかったものの、機雷除去のために掃海艇が出動し、米軍の軍事物資や兵站基地としても大きく貢献しました。
当時占領状態の日本に拒否する選択肢はありません。つまり、十分な軍事力がない限り、中立や静観も不可能ということです。
“論理”に基づく説明は可能なのか
これらの奇妙な“論理”について、井沢元彦氏は一連の『逆説の日本史』などで再三解説しています。
次は『週刊ポスト』(2025年2月7日号)の連載記事のポイントです。
戦前の日本社会では、少数の例外(日本共産党員など)を除き、「戦争反対」という考えはほとんど存在していなかった。 その根底には、「10万の英霊」と「20億の国費」を投じて得た中国大陸での権益は、それだけの極めて尊い犠牲を払っている以上、何があっても絶対に守るという国民的意識があった。 戦後、日本が平和国家へと大きく転換しても、この「犠牲を無駄にするな」という精神構造は消えなかった。 たとえば、「日本国憲法第9条は、300万人の戦死者の犠牲のうえに成り立ったものだから、絶対に変えてはならない」と変化し、その意味で憲法改正反対派の意識は、戦前の「英霊に申し訳ない」と同じ構造にある。 そのため、かつては第9条の改正に言及するだけで、「改正でなくて改悪」「右翼で悪人だ」といった極めて強い感情的な反発を受けた。 このような感情的・信仰的な反応は、日本人の精神文化に古代から存在してきたものであり、それが戦前は「戦死者の犠牲を無駄にするな」、戦後は「平和憲法を死守する」という形で受け継がれている。
話を皇国史観に戻しましょう。