また驚くべきことに、従来有力視されていた発疹チフスの病原体(Rickettsia prowazekii)や塹壕熱の病原体(Bartonella quintana)は、今回の13人の検体から一切検出されませんでした。
つまり、当時のナポレオン軍の兵士たちを襲った疫病は、従来「犯人」と考えられていた発疹チフスではなく、パラチフスとシラミ媒介の回帰熱であった可能性が極めて高いのです。
この結果は、歴史的な記録とも符合します。
実は、1812年当時にナポレオン軍の軍医J.R.L.ド・キルクホフが残した報告書には、
「オルシャ(現ベラルーシ)からヴィルナ(現ヴィリニュス)にかけて下痢が蔓延した。至る所の民家で見つけた塩漬けのビーツ(赤カブ)の大樽を、喉の渇きを癒すために兵士たちが飲み食いしたことが原因で、腸を激しく荒らした」
といった記述があります。
保存食のビーツ漬け汁は衛生状態が悪ければ細菌で汚染されていた可能性が高く、この描写はまさにパラチフス(サルモネラ菌による食中毒的な腸熱)の症状に一致します。
また、当時の兵士たちの遺体から大量のシラミが発見されていた事実も、回帰熱の流行と合致します。
つまり、ナポレオン軍を襲った見えざる敵の正体は、兵士たちが口にした食料(ビーツの漬物)に潜んだ菌と、衣服に湧いたシラミが媒介した菌だったのです。
科学が歴史を塗り替える

この発見は文字通り「主犯交代」と言えるでしょう。
長らく疑われてきた発疹チフスに代わり、『パラチフス』と『回帰熱』という新たな主役が浮上したことを意味します。
もちろん、1812年の悲劇はひとつの原因だけで起きたわけではありません。
極度の寒さや飢え、疲労に加え、複数の感染症が重なって兵士たちを蝕んだ結果、壊滅的な被害につながったと考えられます。
回帰熱自体は通常、致死率が極めて高い病気ではありませんが、極限まで疲弊した兵士たちにとっては致命傷になり得ました。