なぜ労働価値の増加分に加えて、これほど大きなプラスアルファが生じたのでしょうか。
私は、黒人奴隷を男女数人ずつ所有していると子どもが生まれるたびに新しい奴隷が増え、しかも順調に一人前の奴隷として使役できる年齢に達した「国内産」奴隷は輸入奴隷よりさらに割高で取引されていたことが最大の理由だと思います。
奴隷を軽量で小回りが利き、力仕事も細かい手先の仕事もできる万能機械と考えると、ふつうの機械よりはるかに優れた点がひとつあることに気づきます。
機械は使っているうちにだんだん性能が劣化し、やがて新しい機械に取り換えるために、毎年減価償却費を積んでおく必要があります。一方、奴隷は自分が「老朽化」して使えなくなった頃には一人前になっているように、自分たちで後継機を生み、育ててくれるのです。
隷属身分の可視化こそ植民地帝国成功の鍵
しかし、こうした利点のすべては奴隷身分が一目で分かるように可視化され、どんなにつらくやりがいのない仕事でも、ほんの少しでもマシな待遇で働けるようにしてもらうために一生懸命働かざるを得ない立場に黒人奴隷を追いこみ続けていたからこそ生じていたのです。
上のグラフでも奴隷制の持続可能性に疑問が生じた1830年代半ばにはすでに奴隷の産み出す総合的な付加価値が下がっていたことが分かりますが、次の2段組グラフもそのへんの事情を明瞭に浮かび上がらせています。
上段は、アングロサクソン系の入植者たちが北米大陸に定住するようになってから400年以上も経つというのに、法律上だけでも黒人が白人と平等に扱われるようになったのは、たかだか直近の約70年間に過ぎないことを示しています。
「奴隷は解放されたのに、人種的偏見によって差別が続いた」時代が90年以上もあったという表現は正しくなく、奴隷制度があろうとなかろうときつく汚い仕事を低賃金でさせ続けるために人種的偏見を利用していた時代が長かったと見るべきでしょう。