これは1940年代にフアン・ドミンゴ・ペロンが確立し、その後の数十年で強化されてきた体制です。
ミレイ大統領は、この体制をチェーンソーで切り倒し、100年前にアルゼンチンを世界で最も繁栄した国の一つにした「古典的自由主義」の政策に置き換えることを約束しました。
2023年12月に政権を握って以来、ミレイはこの目的のために政府を縮小してきました。彼の優先事項は、「政府支出の抑制」と「規制緩和」です。
ミレイは予算を約30%削減し、就任1か月目で財政を均衡させました。これにより、より規律ある金融政策が可能となり、大統領就任時に月25%だったインフレ率は、2025年1月には2.2%にまで低下しました。
これまでのところ、ミレイ大統領の経済安定化政策の成功は広く認識されています。
ミレイは、多くの人々の予想をはるかに上回る速さで、経済を危機から回復へと導きました。2024年後半には成長が戻り、賃金は上昇し、貧困率は一時的に上昇したものの、その後は、前政権が遺産として残した40%台を下回る水準にまで低下しましたた。
しかし、ミレイがどれほど規制を撤廃してきたか、そしてその規制緩和がアルゼンチンの成功に果たす役割については、あまり認識されていません。
これは、支出削減と同じくらい重要なことです。
その理由を理解するためには、アルゼンチンの政治が他国とどのように異なるのかを知る必要があります。
アルゼンチンのペロン主義体制
アルゼンチンは70年以上にわたり、ペロンがムッソリーニのファシズム体制を手本に築いたコーポラティズム体制を採用してきました。
その体制の下では、国家が社会を労働組合、業界団体、公務員などのグループに組織し、それらと交渉して国家政策を決定し利害を調整します。
これは、”個人を消し去る”集団主義であり、権力を国家に集中させ、利益団体が政府の支出や規制を通じて恩恵を競うよう促す仕組みです。