平等に貧しくなろうなどと煽っておきながら自分は高級外車を乗り回し、タワマンの最上階に暮らす。

お一人様などと本まで出しておきながら自分は長年連れ添っていた男性が居て、その男性の死に際だけ籍を入れて相続。

散々少子化を煽る側に居ながら、自分が介護を受ける年齢であることを自覚しはじめたら介護を手厚くさせようとする。

上野千鶴子という人間はマルクス主義の思想から社会に有害になる要素を単体に分けてアレンジをしてそれを流布して飯を食って来た人だと思います。

しかも常に自分だけは例外なんです。

上野千鶴子だけに限った話ではないんですよね。

学生運動の流行っていた時もそれを煽りに煽ったのが社会党や共産党そして朝日ジャーナルなどのマスゴミ、評論家どもでした。

煽るだけ煽って学生運動が暴走しそこかしこで殺傷沙汰がくり返されるようになると、世間から実に白けた目線で見られるようになりました。

すると社会党も共産党も、煽っていた連中は他人のフリ。

踊らされた人達は使い捨てにされるのです。

おっと、話を戻しましょう。

上野千鶴子という人はこんなことを言ってきた人です。

(性的弱者=コミュニケーションスキルが乏しい男は) 自然史的・人類史的にいえば、マスターベーションしながら死んでいただければいいと思います (上野千鶴子・宮台真司「メディア・セックス・家族」『論座』朝日新聞社、1998年8月号より)

戦争で日本の男に守って貰わない方が敵のもっと「いい男」と出会えるかも (上野千鶴子「女遊び」より)

ちなみに後者の方は元はもっとひどい内容だったりするので以下。

この平時の重労働を担ってきたのは、いつも女たちだった。 水汲み女の図は見たことがあるが、水汲み男、というのは聞いたことがない。 この重労働を、女に代わって男がやろうと申し出た社会は、どうやら歴史上なさそうなのである。

「かよわい女をたくましい男が守ってきた」という学生に、私はこう答えることにしている ――現実には、強い男が弱い女をいたわってきた例より、強い男が弱い女につけこんできた歴史の方が長いんだよ、と。 そのうえ、女は実のところ、かよわくも何ともなくて、重労働に十分耐える生き物でもあるのだ。