さて、スタンダアルは、モオツアルトの音楽の根底はtristesse(かなしさ)というものだ、といった(小林秀雄『モオツァルト』)。同じ文脈で、吉田正の音楽世界にはjoie(喜び)があふれているといってよい。

この理由の一つには吉田自身の性格がもちろんあげられるが、彼が生き抜いた戦争と平和の時代体験が、「喜び」を基調とする大衆音楽を作らせたことも指摘しておきたい。いうなれば、吉田メロディは日本の高度成長時代と戦前世代・戦後世代の交差点に登場し、「生きる喜び」(joie de vivre)を体現した日本人による「幸せな音楽」なのである。

歌謡曲への愛着

どういうものか、物心がついた頃から、ラジオからの歌謡曲を数回聞けば覚えて、それを小学校や中学校への通学の際に口ずさんでいた。

たまたま出身が古賀政男と同じ福岡県大川市であり、古賀の生家には自転車で15分くらいのところで育った。古賀の最後の内弟子である大川栄策は2歳上で、小学校中学校は私と同じである。

吉田メロディへの愛着

古賀メロディはもとよりそれ以外たとえば三橋美智也などの「ふるさと派歌謡曲」も好んでいたが、一番のお気に入りは吉田メロディ(男性版都会派歌謡、女性版都会派歌謡、股旅演歌、青春歌謡、リズム歌謡)であった。

もとより音楽理論の素養はゼロであったが、吉田作品を歌ってみると、歌詞、リズム、音階、メロディなどが、古賀メロディとは全く違っていることには気がついていた。これがいわば原体験である。

1953年から1971年までの吉田作品を取り上げる

本書で扱った「吉田メロディ」の代表作は、1953年(「街のサンドイッチマン」)から71年(「子連れ狼」)までの18年間に集中している。5種類のジャンルを書き分けた吉田が歌謡界で疾走していた時期になり、私は4歳から21歳であった。

この膨大な歌を覚えたのは、60年まではラジオだけであり、その後はテレビの歌番組を通してであった。レコードが買える家計ではなかったため、音源はマスメディアのみである。