となれば、いま対照すべきは、令和のあの戦争の「銃後」ですよねぇ。拙文を引きますと――
「戦争のおかげで、ぼくとジャングルが地続きになったのである」。少年の目線では「〈大東亜戦争〉とは、ぼくが猛獣狩をするためのチャンスであり、プロセスであった」と、小林は思い出す。玩具の銃だけでなく、ほんものの熱帯用ヘルメットを買ってもらい、予行演習のつもりで毎晩遊んでいたという。
いま日本の少年をターザン映画のように冒険に誘うのは、ロボットアニメやオンラインのバトルゲームである。だから近年に海外で起きた戦争でも、「おかげで、ぼくとガンダムが地続きになったのである」といった快楽に耽っているのかなとしか、評しようのない振るまいが世に溢れた。
小林のように小学校(当時は国民学校)でそうなるのはしかたないが、いい歳をしたおじさん・おばさん、まして学識者がそれでは困る。どうにも日本人は、「戦時下の少年」の目線から、進歩できずにいるらしい。
しかしそうなるのにも、理由がある。
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そうそう、困るんですそれじゃ。なにより困るのは、そう苦言を呈されただけで「誹謗中傷ガー! 開示請求ダー! 損害賠償ダー!」みたいな人で、もはや少国民らしい可愛げもないのね(苦笑)。
「ロシアは池乃めだか的に終わってほしい」との迷言を遺した識者もいましたが、戦時下の少国民だって「米英はエンタツ・アチャコみたくどつかれてほしい」とか思ってたんすよ(笑)……というのが、歴史を振り返ると見えてくるわけです。