そもそもダービーマッチは、世界中に広まっているサッカー特有の文化で、リーグ戦を盛り上げる重要な要素の1つだ。特に同一都市や地域に所在するクラブ同士の対戦は、単なる試合以上の意味を持つ。

こうした文化はイングランド発祥だが国によってその背景は様々で、イタリアでは都市国家時代の名残、スペインでは民族対立、スコットランドでは宗教、南米(ブラジル・アルゼンチン)では階級・所得格差、旧共産圏では政治的イデオロギーといった社会的背景を抱えている。

イングランドでは20世紀中盤以降、特に1960年代から70年代にかけて、サポーター同士の暴徒化=“フーリガニズム”が深刻化し、社会問題化した。フーリガニズムの現象は欧州全体にも波及し、多数の犠牲者を出す悲劇を生んだ。そのたびに罰則や規制が導入されたが、現在でもダービーマッチなどでのサポーター同士の衝突は一部地域で続いている。

Jリーグにおけるダービーは、主に地域的な近接性やファン文化に基づいており、イングランド型の「地域対抗」に近い性質を持っている。

Jリーグ創設時の1993年、横浜から横浜マリノスと横浜フリューゲルスが選出された背景には、地域密着の理念やスタジアム整備の状況、企業スポンサーの支援などが考慮された。ヤマハ発動機(後のジュビロ磐田)やヤンマー(後のセレッソ大阪)、日立製作所(後の柏レイソル)、フジタ工業(後の湘南ベルマーレ)なども候補に挙がったが、初期のJリーグは10クラブに絞られ、横浜の2クラブが選ばれたことで、ダービーマッチの文化を日本に根付かせる土壌が形成された。ちなみに、フリューゲルスは創設初期に町田市も活動エリアの候補に含めていたが、スタジアム整備などの面から最終的に横浜を本拠地としたとされる。

この試みは大成功を収めた。両チームのホームであった三ツ沢競技場でのダービーは常に超満員であった。1998年3月21日に新設された横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)で開催されたJリーグ初試合(フリューゲルスが2-1で勝利)も満員札止めに。1999年1月の天皇杯優勝を最後にフリューゲルスがマリノスと合併するまで、両クラブはリーグ戦でほぼ互角の10勝10敗という理想的なダービーマッチを展開した。