ただし戦後日本の憲法は、色んな事情でそうならなかった。結果として、バンザイ突撃のように戦力ゼロで驀進するのが護憲だと錯覚される裏面で、対抗する側も、うおおおお改憲して主権を取り戻す! みたいな主権原理主義に陥ってきた。

原理主義とは、潔癖症みたいなものである。90%くらいの主権はあるのだから、「核開発はしない」とかで10%の目減りは認めていいかな、と鷹揚になれず、うおおおおお完全な主権じゃない! と憤り続けると、北朝鮮みたいな国になってしまう。

いわば ”主権潔癖症” だけど、そう捉えるとウクライナ戦争でそれが流行した理由もまた、明白になる。直前までの新型コロナウィルス禍で、比喩でない潔癖症を患わされた人が多かったからだ。

病気としての潔癖症とは、”健康原理主義” のことだ。外出してウィルスを吸い込むリスクを、文字どおりゼロにする「完全な健康」を追求したら、逆に生きていけない。ところがコロナでは、全員がテレワークで働きドローンで配達してもらえば……みたいな、突拍子もない空想が語られた。

同じノリで海外の戦争を迎えると、無償供与で超強力兵器がどかどか届き、無限の愛国心でエンドレスに反転攻勢をかければ、ウクライナの「完全な主権」を守れるといった幻想も流布する。ネタニヤフの暴走は、そんなファンタジーの終わりを、ようやく自明にしただけだ。

ぼくらは税ではなく、「歴史を無視するコスト」を払い過ぎている。|Yonaha Jun
3/29の『朝日新聞』夕刊に、歴史学者の成田龍一先生との対談記事が掲載されました。紙面に入りきらなかった部分も補足して、より充実させたWeb版(有料)も出ています。 訂正(3月31日 22:00) リンク先を、増補された版に差し替えました。
歴史のつまみ食いは陰謀論への道 対談・成田龍一さん×與那覇潤さん:朝...