たとえ脚色されていても、精神的な自伝である以上、そこには戦争を潜り抜けた世代が感じていた、圧倒的なムラ社会の「リアリティ」がある。ちょっと恐ろしいくらいだが、覗いてみよう。
敗戦で復員した渡辺は当初、半ばうつ状態で家で寝ており、家族から「ご近所に帰郷の挨拶をしろ」と言われても、やる気がない。なぜなら大量の戦死者を出した村で、生きて帰った人間が内心いかに妬まれているか、その自覚があるからだ。
この村では戦死者が非常に多い。おれの部落だけでも十一人もいる。戸数はわずか十九軒。そのうち九軒が戦死者の家で、その中には、西口のように二人も戦死している家だってあるのだ。
九軒といえば部落のほぼ半数だが、このように戸数のわりに戦死者の数が桁はずれに多いのは、郷土部隊の静岡連隊が、……激戦地から激戦地に回されたためで、その間には連隊長の田上大佐夫人があまりの戦死者の続出に日夜悶々の末、留守宅で毒をあおって自殺したという事件もあって、
岩波現代文庫版、14-5頁 (強調は引用者)
マジかよ。でも「あっても不思議じゃないよね。周りの視線が痛いもの」と思わせるのが、戦時下の日本のムラだった。
戦争中はそれでも、戦没者の家の農作業をみんなで手伝ったりしたのだが、敗戦とわかるや「犬死」「貧乏くじ」と陰口が語られ始める。遺族の憤懣はもっともだとしつつ、著者はこう思う。
しかし実際のみんなの気持ちそのものは、戦争中もいまもそれほど変わっていないのではないか。戦争中はただ時勢に口うらを合わせていたのが、戦後になってたまたまその本音が出てきた。それだけのちがいではないのか。
「隣りが田を売りゃ鴨の味」と言われているように、戦争中も百姓たちはひそかに戦死者の不幸を喜んでいたのではないか。おれにはそんな気がしてならない。
94頁(段落を改変)
いまも「他人の不幸は蜜の味」とは言うけど、鴨の味なあたりにずしんと来る実感がある。で、そうしたマジモンのムラ社会を忘れた人たちは、80年近く後のコロナ禍でも同じことをやっていた。