日本人は空気に弱い、とよく言われる。とくに有識者を名乗る人ほど口にする。そこには「インテリの私は違うけどね、フフフ…」といった自己卓越化と見下しがあるのだけど、そうした人のほとんどはコロナ以来、率先して空気に追従し続けて、信用を失ってしまった。
そんな軽薄なことになるのも、空気を読ませる母体であるムラ社会のリアリティを、ぼくらが忘れているからだと思う。意識高い感をひけらかし「日本っていまもムラ社会じゃないですかぁ、ホモソーシャルとかぁ…」みたく言う人ほど、マジモンのムラ社会をなにも知らない。
なにも知らないから、自分だけは「克服できた」という気持ちでいても、実は全然そうなっておらず、同じものに躓いてしまうのである。
どうすれば、マジモンに触れられるか。天皇制論の文脈でよく参照される、渡辺清の『砕かれた神』は、その最良の素材でもある。敗戦により、故郷である静岡の農村に戻った海軍復員兵の手記で、1945年9月~46年4月の日記形式である。
そのまま史実として引く歴史書もあるが(たとえばダワー『敗北を抱きしめて』)、刊行は1977年なので、後世に回想しての潤色も含むと見たほうがよい。福間良明氏は「自伝的小説」と呼んでいるが、そうした資料として読むのが妥当だと思う。