が、こうした「America First」、即ち「米国内分業」を重んじる考え方が、自由主義経済や国際分業論に逆行するとの論もある。確かに各国にしてみれば迷惑な話だ。が、ここで忘れてならないのは「中国の脅威」と「経済安全保障」である。

鄧小平は70年代末からの「韜光養晦」を隠れ蓑とする改革開放策により、十数億もの人々を共産党一党独裁の下に動かし、頭数と低コストを「比較優位」にして、世界の工場として各国をデフレ漬けにした。今世紀に入るや「中国製造2025」政策の下、先進国から盗取した工業所有権を使った先進製品をも、膨大な補助金や周縁民族の奴隷的労働によって安価に製造し、米国すらも雁字搦めにしつつある。

「経済安全保障」については、「マスク」一つ手に入らなくなったコロナ禍が警鐘を鳴らした。レアアース然り、日本のコメや石油・天然ガス然りだ。「比較劣位」であっても内製が必要な「財」や「サービス」があるのだ。例えば、何時まで経っても稼働しない「柏崎刈羽原発」を見れば、電力の量と価格に関して日本が如何にお花畑か知れる。

トランプ関税が、こうした「中国の脅威」を押し返し、また「比較劣位」な産業であっても国内に雇用をもたらすことを念頭に進めていることを、日本を含めた西側諸国は忘れてはならない。日米関税交渉でも、双方の国益を「比較優位説」で考えるなら、読書家として「小室博士の・・一連の著作には随分と蒙を啓かれた」石破氏が、トランプに「なめられる」ことはなかろう。