とはいえ、貿易相手国すべてに高関税を課し、自動車や鉄鋼やアルミのみならず、米国が「比較劣位」と明白な、中国の雑貨や玩具や衣類など、何でもかんでも米国で製造しようとするのは愚策であろう。が、サムエルソンは「比較優位説」が「国内分業論」であることにも気付いたのである。
小室は、師と仰ぐサムエルソンが「タイプも上手い女性弁護士」の事例で説いた「比較優位説」を解説している。即ち、彼女は弁護士として生きるべきか、それともタイピストとして生きるべきか、はたまた弁護士をしながらタイプも自分で打つか、という命題だ。
サムエルソンの答は、タイピストを雇い、弁護士として生きよ、というもの。なぜなら全ての時間を弁護士として使うことの方が多くの収入が得られ、タイピストを雇うコストを差し引いても、両方自分でやるよりも多くの収入が残るから、である。
彼女は弁護士としてもタイピストとしても一般人より優れ、「絶対優位」だ。が、これを「比較優位」で考えると、彼女の中では、弁護士は一般人と比べ「うんと」優れている「比較優位」だが、タイピストの方は「ちょっと」優れている「比較劣位」なのである。よって、「比較優位」の弁護士に特化し、「比較劣位」のタイプは他に任せるのが得策だし、タイピストも職が得られるという訳だ。
さて、ここからは筆者の考えだが、「比較優位説」は、国家間でも、国内でも、そして実は企業でも、家庭でも、あらゆる単位で実行されている。企業を例に考えれば、事務職に腕力は無用だが、製造現場はそうはいかない。人それぞれ得手不得手や体力差があるし、企業の仕事も種々雑多だ。人事部は無意識に「比較優位」を考慮して配置をしているはずであり、「男女共同参画」でも同じことが言えよう。
トランプ関税に戻れば、様々な出自を持つ3.4億人の人口を抱える米国には仕事が必要なのだ(これは米国に限らない)。だから経済指標として新規雇用者の数が、インフレ率などと共に毎月の話題になり、投資の指標になる。トランプは「比較劣位」の産業をも関税で保護し、米国で事業が成り立つようにして、雇用を増やすことを試みているのである。