この蓄積された不満と疎外感という「熱」が、最初に劇的な症状として噴出したのが、2016年である。 英国では、国民が「主権を取り戻す」というスローガンの下、エリート層の予測を覆してEU離脱(ブレグジット)を決定。米国では、不動産王ドナルド・トランプが「アメリカを再び偉大にする」と叫び、ラストベルト(錆びついた工業地帯)の忘れられた人々の熱狂的な支持を受け、大統領の座に就いた。
彼らの戦術は驚くほど共通していた。敵は、もはやソ連のような具体的な国家ではない。彼らが「敵」として設定したのは、国境を曖昧にし、自国の富を吸い上げ、伝統的な文化や価値観を破壊する、顔の見えない「グローバリズム」と、それを推進する国内外の「エリート層」、そして彼らの代弁者である「大手メディア」だった。
この反乱は、西洋社会の根幹を揺るがした。そしてこの潮流は、一過性の熱病では終わらなかった。2025年の今、世界が再び直面している米国の保護主義的な動きや、欧州各地で続くナショナリズムのうねりが示すように、それはもはや「病」ではなく、世界の政治・経済を規定する「新しい常態」となった。
それは、もはや「右か左か」という旧来の政治対立ではない。「グローバルか、ナショナルか」「エリートか、大衆か」という、まったく新しい分断線の出現であり、参政党が生まれる、世界的な「気候」がここに整ったのである。
第二節:日本の「持病」──三十年の停滞と、静かに蓄積した不安世界がこのような激しい熱病に浮かされていた頃、日本は異なる病に静かに蝕まれていた。それは、熱狂や反乱とは無縁の、しかし身体の芯まで冷え切らせるような、「慢性的で、終わりの見えない停滞」という持病である。
バブル経済の崩壊後、日本は「失われた30年」と呼ばれる長いトンネルに入った。かつての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の輝きは色褪せ、終身雇用や年功序列といった、国民の生活を支えてきた社会の仕組みは崩壊。非正規雇用が増大し、2025年の今日に至るまで、実質賃金の伸び悩みは国民生活に重くのしかかり続けている。若者は未来に希望を描けず、中高年は自らの生活を守るのに精一杯となった。