参政党を支持する者も、あるいは、その主張に強い危機感を抱く者も、もはやこの存在を無視することはできない。彼らは、好むと好まざるとに関わらず、現代日本が直面する「国家とは何か」「国民とは何か」「豊かさとは何か」という、根源的な問いを、私たち全員に突きつけている。

さあ、ページをめくってほしい。鏡の向こうに映る、あなたがまだ知らない日本の姿と、向き合うために。

第1章:世界の潮流と日本の土壌──参政党、誕生の必然

いかなる政治運動も、真空から生まれることはない。それは、時代の空気と、それが生まれる国特有の土壌、そして人々の心に静かに降り積もった、言葉にならない渇望が化学反応を起こした時に、初めて姿を現す。

2022年の夏、日本に突如として現れたかに見えた参政党という現象もまた、例外ではない。

彼らを理解するためには、まず、彼らが誕生する「前夜」の世界と日本が、どのような「病」に侵されていたのかを診断する必要がある。一つは世界を覆った急性の「熱病」であり、もう一つは日本を蝕む慢性の「持病」である。

本章では、この二つの病巣を解き明かすことで、参政党がなぜ、そして、いかにして生まれなければならなかったのか、その必然性に迫りたい。

第一節:世界を覆う「熱病」──冷戦後秩序の崩壊と、忘れられた人々の反乱

1990年代、冷戦の終結と共に、世界は楽観的なムードに包まれた。自由民主主義とグローバル資本主義が最終的な勝利を収め、世界は一つに繋がることで、永続的な平和と繁栄が訪れる──。そんな「歴史の終わり」さえ語られた時代だった。

しかし、その輝かしい未来像の裏側で、静かに、しかし確実に、病原体は増殖していた。 グローバリゼーションという名の奔流は、国境を越える巨大資本や、高度な専門知識を持つ「グローバル・エリート」層に、莫大な富をもたらした。

一方で、先進国の国内では、かつて国の屋台骨を支えていた製造業が、安価な労働力を求めて海外へと流出し、中間層は痩せ細り、賃金は停滞した。自分たちの暮らしは一向に良くならないのに、テレビの中の経済学者や政治家たちは「グローバル化は不可逆だ」と繰り返す。その言葉は、まるで自分たちの苦しみを無視する、冷たい響きを伴って、多くの人々の耳に届いていた。