一見すれば、両党は水と油だ。参政党が「伝統」や「国守り」を掲げる「右派」であるのに対し、れいわは「弱者救済」や「多様性」を訴える「左派」に見える。しかし、その表面的なイデオロギーの化粧を剥がし、その戦術、支持層の熱量、そして既存政治への対決姿勢という「骨格」を分析したとき、私たちは驚くべき事実に直面する。
それは、参政党とれいわ新選組は、敵対する双子であり、同じ「反エスタブリッシュメント・ポピュリズム」というコインの、裏と表にすぎないということだ。
本章では、この両党を徹底的に比較することで、現代日本のポピュリズムの全体像を炙り出し、なぜ同じ水源から、二つの異なる流れが生まれたのかを解き明かす。
第一節:驚くべき「戦術」のシンクロニシティもし、党の名前を隠して両党の活動を観察すれば、その戦術が驚くほど酷似していることに気づくだろう。
カリスマ的リーダーへの依存:参政党が神谷宗幣氏という絶対的な「教祖」を中心に動いているように、れいわもまた、山本太郎代表という、比類なき演説能力とカリスマ性を持つリーダーの存在が、党の求心力のすべてである。両党ともに、もしこのリーダーを失えば、党の存続が危ぶまれるという、極めて脆弱な構造を共有している。 反エスタブリッシュメントという「共通の敵」:参政党が「グローバリスト」「大手メディア」を敵とするならば、れいわは「資本家」「緊縮財政派の政治家・官僚」を敵とする。呼び名は違えど、「国民から搾取し、真実を隠蔽する、腐敗した支配層」という敵の構造設定は、全く同じだ。 SNSと街頭演説という「両輪」:両党ともに、既存メディアを「敵」と見なし、YouTubeやSNSを駆使して支持者と直接繋がる。そして、オンラインで醸成した熱を、リアルの街頭演説会で爆発させる。山本太郎の「辻立ち」と、神谷宗幣の「街頭演説」は、その手法と熱量において、鏡写しのように似ている。 熱狂的なボランティア組織:両党の活動は、金銭的な見返りを求めない、熱心なボランティアによって支えられている。彼らは、単なる支持者ではなく、自らが「党を動かしている」という強い当事者意識を持つ「信徒」であり、このボランティア組織の有無こそが、他の第三極政党と彼らを分かつ、決定的な違いとなっている。
第二節:響き合う「経済政策」──MMTという福音
さらに驚くべきは、イデオロギー的には対極に見える両党が、経済政策において、奇妙なほど響き合っている点だ。