足しげく通った勝手知ったる場所と慢心していた。カーナビを使わず気ままに運転していたら、大野駅周辺で道に迷ってしまった。整備事業の工事による通行止めを回り道したら、デザイナーハウスが整然とならぶ一画や、重機が動き回る真っ平らな更地と、戸惑い慌てるほど景観が変わっていた。風景が一変していたのは大野駅周辺だけでなく、浪江町の沿岸部も変貌していた。
浪江町沿岸部の大きな変化は、整地作業と道路の復旧工事が終わり、防潮堤が完成して、水産会社の社屋が新築され、苕野くさの神社が再建されただけかもしれないが、知っているはずなのに知らない土地に来たような不思議な感覚が去来する場所になっていた。
双葉町のネムノキ

被災して荒れた土地で満開になっていたネムノキ
道に迷っただけでなく、気がむくまま自動車を走らせていると、ネムノキの赤い花が気になった。
被災地とネムノキが私の中で結びついたのは、10年以上前だった。
相双地域といわき市を南北にまっすぐ結ぶ国道6号を移動しているとき、避難指示が出されていた双葉町の民家にネムノキが生えているのを見つけた。この木が気になったのには理由があった。国道に面した前庭に生えているネムノキの枝が、無遠慮に玄関を塞ぐように枝を伸ばしている姿が尋常ではなかったのだ。
ネムノキは土がなくても発芽し、根が土を求めて伸びるくらい繁殖力が旺盛だ。しかも成長が早い。家や農地を管理する人が町からいなくなったため、雑草がはびこるようにネムノキが一帯に広がったらしい。
国道6号は相双地域といわき市を移動するのに必要なだけでなく、他の道が帰還困難区域に含まれ封鎖されているので、両地域を訪ねるたびネムノキの家の前を通らざるを得なかった。ある年のネムノキは背が高くなるだけでなく、さらに幅広く枝を伸ばしていた。そうかと思うと、隣家が解体された年は小さく刈り込まれていた。
今年は、庭の別の場所にもネムノキが生えていた。どちらのネムノキも激しく枝を伸ばしているうえに、開花期とあって花が満開だった。