被曝を連呼する反原発派の人たちは、スーパーマーケットと物産館の様子を見たら何を言い出すのだろう。彼らは、こうした日常を見なかったことにしているか、まったく知らないのではないか。
道の駅ならはを出て、国道6号の先に見えるJERA広野火力発電所の巨大な煙突を目指してアクセルペダルを踏んだ。JERAは東京電力と中部電力の合弁会社で、東電の唯一の電力供給地外にある火力発電所である。この発電所も東日本大震災の津波で被災して全停止を余儀なくされた。その後、被害が少なかったタービンから復旧させ、原発停止で危機的状況に陥った東電管内に電力を供給したのだった。
東電管内の住民で、この事実を知っている人がどれほどいるだろうか。福島第一、第二原発だけでなく、福島県で生み出されたエネルギーに東電管内の人々は支えられ続けてきたのだ。さかのぼれば本州最大の炭砿だった常磐炭鉱の石炭が首都圏と日本の近代化を支えてきたが、これさえ忘れさられてしまっている。
そして私は「東北にハワイを!」の掛け声で作られた常磐ハワイアンセンター、現スパリゾートハワイアンズがあるいわき市を目指して車を走らせた。
昭和30年代後半、石炭はエネルギーの主役の座を石油に譲らざるを得なくなり、石炭産業が没落した。石炭に依存していた地域経済は壊滅的打撃を受け、豊富に湧き出る温泉を利用した観光業へ舵を切る決断をした。相双地域に東京電力の原子力発電所が立地しているのも、こうしたエネルギーと地域の問題に原点がある。だが、これも忘れられてしまった。
広野町を過ぎ、いわき市の四倉海水浴場に到着した。
海水浴場の駐車場と、隣接する道の駅よつくらの駐車場に、車と人があふれかえり、東日本大震災後に作られた防潮堤は別物になっていた。
2017年の9月、防潮堤は完成していたが法面に木々が植え付けられたばかりで、コンクリートの土台に土をかぶせた構造がはっきり見て取れた。

四倉海水浴場・防潮堤 2017年9月