たとえば何気ない石を拾って表面を強力なレーザーで熱すると、元の石の種類が何であれ熱せられた表面部分は白っぽく変化することになります。
一方、人が遮蔽していた部分は熱線にさらされず、漂白は起こりません。
そのため人間が熱線から遮っていた部分が濃く、それ以外の部分が相対的に漂白により白っぽくなって「影」が浮かび上がることになる――これが人影の石に見られる白黒模様の正体です。
つまり、石段に残った黒い人影は決して「蒸発した人の燃えカス」ではないのです。
実際、2000年に行われた奈良国立文化財研究所の調査は石段に残った影の部分を分析したところ当時の塗料などの付着物が検出されたと報告しています。
では影の元となった人々はどこにいってしまったのでしょうか?
最も妥当な説明は、蒸発ではなく爆風で吹き飛ばされたり、遺体がすぐに搬送されてしまったことでしょう。
爆心に近い場所では遺体の判別や収集が困難な状況にあり、「影だけが残った」と言われる背景にはこうした状況が深く関わっています。
このように原爆の熱線と漂白という観点からの報告は、戦後間もない時期に作成されたアメリカやイギリスの報告書でも明確に記載されています。
ではなぜ「人間が蒸発した」「炭化してこびりついた」という科学的な誤りが多くの人々の記憶に残る事態になってしまったのでしょうか?
「人が蒸発した」という俗説はなぜ広まったのか?

「原爆の熱で人間が一瞬で蒸発した」という表現は、戦後長らく語られてきました。
その背景にはいくつかの要因が考えられます。
1つ目は、遺体が見つからなかったことへの心理的な衝撃が挙げられます。
広島は爆心地近くが焦土と化し、遺骨すら発見できなかった人が大勢いました。
あまりの惨状に「人間が蒸発してしまった」という言葉でしか表現できないほど、人々の姿は跡形もなく消えていたのです。