以上だが、この話には「銘柄」という語が出て来ない。そこで農水省サイトの【品種銘柄の設定】の項を見るとこうある。

5 銘柄については、農産物規格規程(平成13年農産水産省告示第244号)において「品種銘柄」、「産地品種銘柄」等の区分が規定されており、具体的には、「品種銘柄」については品種名のみを特定して、指定され、「産地品種銘柄」については道府県名と品種名を特定して、例えば「新潟県産コシヒカリ」などという形で指定されている。現在、水稲うるち玄米では、品種銘柄に指定されたものはなく、産地品種銘柄が870程度指定されている。

何とも珍紛漢紛なので、Wikipediaで「コシヒカリ」の項を当たると、次のように記してある。同じ「コシヒカリ」という「銘柄」であっても、遺伝学上の「品種」が同じでないことがある、ということなのだろう。

品種特性・・コシヒカリという品種は1つであるが、コシヒカリという銘柄(消費者が買う段階の商品名)にはコシヒカリ(品種)と多数の品種を含むコシヒカリBLという品種群が含まれる。現在、「新潟県産コシヒカリ」という銘柄は、9割以上がコシヒカリBLという品種群であり、コシヒカリ(品種)とは異なる。

蓬莱米

台湾には「蓬莱米の父と母」がいる。磯永吉が「父」で末永仁(めぐむ)が「母」だ。共に1886年生まれだが、福岡県筑紫郡出身の末永が大分県三重農学校から県の農事試験所に進み、1910年に台湾に渡った叩き上げなのに対し、広島県福山市生まれの磯は東北帝国大学農学科(現北海道大学農学部)を卒業し、翌12年3月に渡台したエリートだ。

児玉源太郎総督は1901年、米の「所産三倍ならしめ」「細民共に三餐に飽き、尚ほ剰す所を以て之を海外に輸出する」とコメの増産を訓示し、10年には、総督府が「米種改良事業計画」を定めた。末永が嘉義農場の技手職として渡台したのは真にその年だった。

大学を出て妻も娶った磯が、台北の総督府農事試験場種芸部の技手として赴任し、その後の45年に及ぶ台湾生活の幕を開けた12年12月、渡台から2年が経った末永の論文が、嘉義庁農会(農協)主催の「第一回技術員製作品展覧会」で一等賞を獲った。