すでに1983年に「論壇は、少くとも論壇でなければならず、“論ぜざる壇”であってはならない」と、評論家の江藤淳は述べた(拙著『江藤淳と加藤典洋』文藝春秋、参照)。それをもじれば「専門は、大きくみても専門でなければならず、すべての道を塞いではならない」となろうか。

タブーなく論じるとは、著しく誤解されているように、露悪趣味で良識を嗤うという意味ではない。むしろ論ずるテーマに制約を設けない、自由な議論のためにこそ、立場や専門の違いを尊重するマナーが必要になる。

そうした「他者感覚をともなう社交」のモデルを示すことが、日本における論壇の大きな役割だった。それを思い出すきっかけのひとつとして、読者の心にこの企画が残るなら嬉しい。

120-1頁 算用数字に改め、強調を追加

ヘッダーは、最初の緊急事態宣言が出て2日後の2020年4月9日のブログから借りた(このお店で食べたという意味ではない)。当初はやむを得なかった面はあろうが、5年以上経ってもいまだにやめられないのは異常である。

当時はNew Normalと煽られたりしてたけど、和服の店員さんがマスクしてて、嬉しい人が誰かいるだろうか。ふつうに考えてマスクなしのOldに戻るべきだけど、それができないのは、いまの日本人にはそもそもNormalが存在しないからだろう。

よく言われることだけど、Norm(ノルム)はもともと「規範」の意味である。つまり、単に全員がやってるからNormalなんじゃなくて、そうすることがまっとうだという倫理的な感覚がないと、実は標準って維持できない。

で、New Normalとか言ってたコロナ禍の間、日本人はなにしました? 海外からの遠隔出演でも別にいいみたいな風潮を作り、「まっとうってあなたの感想ですよね?」「なんで尊重しなきゃいけないんですかね」「うおおお逆らうやつらは集団切腹!」みたいにNormを愚弄する人を持て囃してたんじゃないっすか?(苦笑)