だからその時間を「一緒に過ごしてもいいな」と思えるには、沈黙し物語ゼロでも相手と尊重しあえる体験がいる――と、江藤淳の『妻と私』の解説に書いたら、若い批評家の人が参照してくれた。

この江藤論の読みどころは、①1962~64年の滞米体験を江藤が綴った『アメリカと私』を、②最晩年の『妻と私』と合わせ鏡のように位置づける点にある。②がいわば「沈黙への讃歌」なのに対して、①が描くアメリカとは、「語り続けないかぎり認められない社会」の象徴だからだ。

つまり、江藤が見たアメリカ社会において、アメリカ人とは皮膚や髪の色のような「属性」ではなく、あくまで「ふるまい」なのである。 したがって適者生存の論理/倫理とは、たんに自助努力を重視するということにとどまらない。 そもそもアメリカではそうした努力なしには生きていけず、そしてその選別の結果、生き残った人間たちを「アメリカ人」と言うのである。

強調も、砂糖まど氏の原文ママ

江藤にとってアメリカは、過酷な自助の国である裏面で、意外に居心地のいい場所だった。適切な物語を語れることがMembershipの条件で、「これこれの存在が ”日本人” です」と自己紹介すれば、そういう者として受け入れてくれる(実際に江藤は、プリンストン大で日本史の教鞭を執る)。

逆に日本に帰ってくると、拙著でも描いたとおり、江藤夫妻はうまくいかない。語らなくてもMembershipが自明な日本では、江藤のように口角泡を飛ばす批評家は浮いてしまうからだ。