「負け戦」の責任は、誤った戦略を立てた者に、明確に取らせなければならない。それ抜きでは、日本人は「無責任の体系」を繰り返す。これが数少ない、いまも通用する歴史の教訓なことは、いくら歴史学者が無教養でもわかるだろう。

日本学術会議の敗戦は、学問の終わりではない。新たな始まりである。

2020年代、学問の「自由」を担うに値する「責任」をまるで果たさず、失敗を認めずに世論の耳目を逸らすことだけに邁進した人びとの罪を、問い続けることが必要だ。いま学術会議の「A級戦犯」を裁くことが、民主国家を担う学問再生の第一歩になる。そしてその判決は今度こそ、外国ではなく国民の手で、下されなければならない。

参考記事:

『東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか』の衝撃|喜多野土竜
◉日本学術会議の法人化に対する、東大新聞によるメールアンケートが、話題です。隠岐さや香教授による政府批判&日本学術会議擁護が、各方面から疑義や反論をくらい、アカデミズムに対する信頼さえ揺らぎだしている中、東大教授や准教授という立場の方々が、率直な意見を寄せています。
東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか ...