とはいえそうなるにも、理由はある。

後出しではなく、2020年10月に問題が顕在化した際にぼくは、直前のコロナ第1波では政府の「要請」にヘコヘコ従い、キャンパスや図書館を封鎖して恥じなかった大学人が、たかだか6名の任命拒否で「学問の自由」を言い出すのはおかしい、とはっきり書いた(『歴史なき時代に』に再録)。

①自粛の強要に対するホンモノの抗議を行わず、②著名な学者を看板にしたニセモノの抗議で「俺らって政府にモノ言ってるじゃないすかぁ!」とPRするのは、二重の意味でみっともない。それが見え透いているから、当初はバズっても、国民にすぐ飽きられたわけである。

社会に向けて声を上げるとき、イタいと思われないために意識すべき1つのこと|與那覇潤の論説Bistro
先月の終わりごろ、このツイートが話題になっていた。 この本の表紙ヒドくない? 「息苦しさの正体」の実名列挙とかやっちゃいけないでしょ pic.twitter.com/WoVH52rF9x — ヴォルヴィーノ@読書垢 (@dokushoa) February 24, 2024 発信元のアカウントのフォロワーは...

任命拒否にいきり立つ学者たちが行っているのは、典型的な代償行動だと言わざるを得ない。 「学問の自由」を言うのであれば、自粛の要請下で各大学が自らキャンパスを封鎖したこと。各種の図書館が一時は完全な閉館になり、先学の成果を参照しつつ「政府の対応の科学的な妥当性や、合憲性」を検証する機会が、国民から奪われたこと。 これらこそが自由の侵害だったことは明白であり、大学教員たちはその共犯者であった。

『歴史なき時代に』315-6頁 (強調と改行を追加) 初出「論座」2020年10月9日

いかに民意がさっさと学術会議を見捨てたかは、世論調査でわかる。任命拒否のスクープは20年10月1日の『赤旗』だが、11月8日の『毎日新聞』に載った調査結果では、任命拒否を「問題とは思わない」人が、早くも問題視する声を上回った。嗚呼、学術会議応援団、わずか1か月の命。