戦前の苦い教訓 「文民統制」とは、文民の政治指導者が軍事組織を適切に従わせるという民主主義国家の基本的なルールを指す。欧米では、軍の指揮官は政治的中立性を維持し、政治指導者の政策決定に絶対的に服従しなければいけないとされている。
日本の憲法66条は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定。ただ、日本では政治家に加え、防衛省内局の背広組(文官)が制服組を統制する「『文官』統制」とも言われる独特の「文民統制」が取られてきた。
佐藤瑞季記者は2019年入社の若い記者なのに昭和の時代の朝日新聞的な似非文民統制を正統だと思っています。先輩記者に洗脳されたのでしょう。文民というのは選挙で選ばれた政治家のことですよ。それを官僚と混同している。
朝日新聞や岩波文化人的な文民統制観です。官僚が統制するのが文民統制のわけがないでしょう。
戦後軍部独走で懲りた内務官僚らが自分たち国防まで仕切ろうとした結果です。自衛隊の前身である警察予備隊、保安隊も内務官僚すなわち警察官僚が仕切ってきました。
国家の2大暴力装置である警察と軍隊が同じ官僚によって統制されているのは独裁国家と同じです。彼らに対して政治家は対抗できません。これを佐藤瑞季記者の属する朝日新聞は礼賛してきたわけです。頭おかしいだろう。
自衛隊創設後も背広組が制服組を統制する仕組みは受け継がれた。80年代に防衛庁に入庁した元背広組は「先輩たちのほとんどは旧軍の反省から『制服組を放っておくと危ないので、監視しなければいけない。それがシビリアン(文民)である我々の役目だ』と考えていた」と振り返る。
だから上記のような記事を書く。
文官と制服組は役割が違います。すべてを文官が統制しようとしてきたこそ、防衛省と自衛隊は歪んだ文化の組織になってしまったわけです。それは朝日新聞が煽ってきたせいです。
日本型「文民統制」の積極的な見直しを進めてきたのが、石破氏や中谷氏ら自民党国防族だ。2000年代以降、二つの大きな見直しが行われた。一つ目が、09年の防衛参事官制度の廃止だ。自衛隊・防衛省の重要事項は、防衛参事官という局長級以上の背広組だけで構成する会議で決めていたが、制服組は強い不満を抱えていた。二つ目が、15年に背広組の局長をトップとする内局の「運用企画局」を廃止し、自衛隊の部隊運用を制服組が統括する「統合幕僚監部」に一元化したことだ。運用については制服組幹部が防衛相や首相に直接連絡し、指示を受ける仕組みとなった。