江藤淳が最も愛した日本の作家は、むろん夏目漱石ですが、同じくらい好きだった人に、俳人の高浜虚子がいます。正岡子規の後継者で、そもそも漱石が最初の小説『吾輩は猫である』を載せたのも、1897年から子規・虚子が始めた文芸誌『ホトトギス』の誌上でした(1905年)。

それで、江藤は自分のベストと認める評論「リアリズムの源流」(1971年)に、1904年に虚子が書いた「写生趣味と空想趣味」という論考を、絶賛しつつ引用します。虚子が、師である子規との口論を記録した文章ですが、書かれている事件は1895年頃のエピソード。

子規と虚子が茶店で休息中、夕暮れ時に夕顔の花が咲くのが目に入った。それをどう俳句に詠むべきかで、ふたりの意見が食い違います。

通行の字体に改めつつ、別の記事でもご紹介した「リアリズムの源流」から、重引で抄録すると、

その時子規子の説に、「夕顔の花というものの感じは今までは源氏その他から来ておる歴史的の感じのみであって、俳句を作る場合にも空想的の句のみを作っておった。今親しくこの夕顔の花を見ると以前の空想的の感じは全く消え去りて、新たらしい写生的の趣味が独り頭を支配するようになる」と。 (中 略) そこで余は大に子規子に反対せずにはおられなかった。それは、夕顔の花そのものに対する空想的の感じを一掃し去るという事は、せっかく古人がこの花に対して附与してくれた種々の趣味ある連想を破却するもので、たとえて見ると名所旧蹟等から空想的の感じを除き去るのと同じようなものである。