石破と村上のツーショットにげんなりしない日本国民はまずいまい。そうした彼らが主導する我が国の政治は目下、極めて異常な状況である。それは24年9月27日の自民党総裁選から始まった。否、その2年前に起きた安倍元総理暗殺で始まったのかも知れぬ。

が、そうであっても、当時の岸田総理総裁が、なぜ安倍自民が国政選挙で6連覇したのか、その理由を理解していたら、今の異常な状況にはならなかった。安倍国葬までは良かった。が、信者2世の暗殺犯が旧統一教会(「教団」)とそこにメッセージを送った安倍氏を恨んでの犯行という、恐らくは奈良県警が警備の不備を糊塗するために流したと思われるリーク情報がメディアに溢れて始まった「教団」叩きに岸田は浅墓にも乗った。本来、暗殺犯へ向かうべき国民の憎悪が「教団」に向かうのを、文科省をして「教団」潰しに走り、助長したのである。

今では気づいている国民も少なくないと思うが、「教団」叩きは共産党による「勝共連合」潰しという政治闘争である。これに岸田が加担したのは彼が「赤い」からではなく、メディアに煽られた国民への迎合からで、真にポピュリズムだった。そして「教団」との些細な関係を種に閣僚を更迭、自民議員にも関係を断たせ、信教の自由を踏みにじった。だのに、暴露された米国の「教団」関係者と自身の写真には沈黙した。文在寅が流行らせた「ネロナムブル」(「自分(ネ)がすればロマンス、他人(ナム)がすれば不倫(ブルリュン)」という「二重基準」を意味する韓国の造語)そのものだ。

その後も岸田は、LGBT理解増進法成立を推進し、自民6連覇の原動力だった保守の岩盤支持層を離反させた。続いて発覚した、安倍派を中心とするパー券収入不記載問題でも、検察が不起訴にした形式犯に過ぎぬ事件のハンドリングを誤り、「裏金」なる言掛りを否定しないどころか、自ら派閥を解消してしまうという愚挙に出、不記載議員を処罰した。挙句、支持率低迷で総裁を辞したが、後継者選びで犯した判断ミスが今の異常な状況を招いた最大の原因である。岸田は24年8月14日の退任会見でこう述べた。