この「情報の使い分け」は、単なる編集方針の違いでは済まされない。そこには、国民に対しては独立的な判断を装い、国際社会に対しては協調的な姿勢を強調するという、二重の政治的シグナルが織り込まれている。科学という本来中立であるべき領域が、政治と外交の道具として利用されている構図が浮かび上がる。
さらに問題なのは、このような構図が世界中で再生産されているという事実である。どの国でも、政治的メッセージと科学的言説が巧妙に融合し、国家の正当性や国際的評価を高める手段として“科学”が用いられているのである。
この構図を裏付けるように、気候変動に限らず、SNSやYouTubeなどの情報プラットフォームでは、政府や大手メディアにとって“不都合な内容”を含む投稿が削除されたり、フォロワー数が急減したりする事例が後を絶たない。ワクチン、地政学的リスク、経済政策など、あらゆる分野で“主流の語り”と異なる視点が「偽情報」とされ、事実上の検閲が行われているのである。
プラットフォーム運営者はAIによる自動検出や外部評価機関による“ファクトチェック”を根拠に削除や制限を正当化するが、それが本当に中立で妥当な判断かどうかは十分に検証されていない。情報がアルゴリズムによって処理され、異論が“見えない存在”とされてしまう今、民主主義社会の基盤である多様な言論の保障は危機に瀕している。
3.国連の“We own the science”とオーウェルの「1984」
このような状況に先行するかのように、2022年の世界経済フォーラム(WEF)において、国連広報担当のフレミング氏が放った発言がある。
「We own the science(私たちは科学を所有している)」
この言葉は、科学的真理があらゆる立場から自由に検証されるべきという基本原則を真っ向から否定し、情報統制の正当化を示唆するものだった。その発言は、国際的な指導層が「科学」という名のもとに、ナラティブを支配しようとする姿勢を赤裸々に物語っている。しかもその“支配”は、教育や報道、プラットフォーム規約といった様々な制度を通じて巧妙に浸透しているのである。