『一九四六年憲法』149頁 (改行と強調は引用者) 「沖縄の返還」は、2年後の1972年だった
「自己同一性」には、アイデンティティとルビが振ってある。なんと文中で自己同一性と記すたびに、毎回同じルビをつけているあたり、江藤がいかにこの概念に憑かれていたかがわかる(当時の日本では、まだ珍しい語彙だったのもあるが)。
冷戦の終焉(1989年)とともに始まった平成は、「親米保守ひとり勝ち」の時代だった。日米同盟を ”こっちから” 捨てるなんてあり得ない以上、それも含めて日本のアイデンティティでしょ? と、ナチュラルに思えたから、江藤の指摘する「二律背反」は忘れられてきた。
ところが令和に入り、第二次トランプ政権がウクライナを見放すさまを見た結果、”あっちから” 捨てられる可能性がにわかに目に入って、色んな人がパニックになっている。文字どおり、『江藤淳は甦った』わけである。
ウクライナの現実に照らすとき、より深刻に浮かび上がる文章も、同じ論説に江藤は記している。安全保障に比べれば、アイデンティティなんて気持ちの問題でしょ? という批判を先取りして、江藤は「これは政治論ですらなく、単なる感情論にすぎないともいえる」と、率直に認める。
だが、と続く箇所こそが本題で――
しかし実は、それはまさに感情の問題としてこそ重要である。 人は生存を維持するために、あえて自己同一性を抛棄することもある。しかしまた自己同一性の達成を求めて自己を破壊することもある。 そして現代の政治は、単に人間の理性だけでなく、このような衝動を内に秘めた全体としての人間を相手どる必要に迫られている。