今年に入って2回、お会いした相手から「江藤淳のこの文章、いまこそ大事ですよね」と切り出されて、驚いたことがある。ひとりは『朝日新聞』で対談した成田龍一先生で、もうひとりはいまアメリカで取材されている同紙の青山直篤記者だ。
文章とは、江藤の時評で最も有名な「「ごっこ」の世界が終ったとき」。初出は『諸君!』の1970年1月号だった。長らく手に入りにくかったが、いまは文藝春秋が復刊した『一九四六年憲法 その拘束』に収められているので、気軽に読める。
「ごっこの世界」については、ウクライナ戦争を踏まえた新しい読み方を、1月にこのnoteで紹介している。そのぼくも、成田さんも青山さんも、注目するのはまったく同じ一節である。
自己同一性の回復と生存の維持という二つの基本政策は、おたがいに宿命的な二律背反の関係におかれている。 自己回復を実現するためには「米国」の後退を求めなければならず、安全保障のためにはその現存を求めなければならない。 沖縄の返還はこの二律背反をかならずしも解決しないのである。