まず、この挑戦に始めて成功したのは、2012シーズンのヴィッセル神戸だ。この年、神戸は和田昌裕監督でスタートしたが、開幕から低迷し6月に西野朗監督にスイッチ。西野監督は日本代表やガンバ大阪で実績を残した名将だったが、チームの立て直すまでには至らずに、さらなる成績不振により10月に退任。後任には安達亮コーチが昇格し、監督代行としてシーズン終了まで指揮を執った。

このシーズンの神戸は、序盤から守備の脆さが露呈し、失点がかさむ試合が続いた。和田監督時は攻撃の形を作れず、チームの士気も低下。西野監督就任後は戦術の再構築が試みられたが、短期間での成果は得られなかった。しかし、安達代行監督の就任後、チームは徐々にまとまりを見せ、残留争いの直接対決で勝ち点を積み重ねた。特に最終節での勝利により逆転で16位に浮上し、J1残留を成し遂げた。

この成功の背景には、安達監督のコミュニケーション能力と、既存の戦力を最大限に生かす現実的な戦術があった。西野監督時に試みられたハイプレスやポゼッションサッカーは、神戸の選手層にはフィットしなかった上、戦術を落とし込む時間も足りなかった。そこで安達監督は守備を固め、カウンターを重視するシンプルなスタイルを採用。これが奏功し、チームは危機を脱した。混乱を乗り越え、残留を果たした象徴的な例となった。


吉田孝行監督 写真:Getty Images

2019シーズンのヴィッセル神戸

2019シーズンの神戸もまた、2度の監督交代を経験した。この年は元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタ、元スペイン代表FWダビド・ビジャ、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキといった世界的スター選手を擁する豪華な陣容だったが、序盤から結果が出ず、監督交代の連鎖に突入する。

フアン・マヌエル・リージョ監督でスタートしたが、攻撃偏重の戦術が守備の不安定さを招き、4月早々に退任。2度目の代行となる吉田孝行監督を挟み、6月にトルステン・フィンク監督が就任する。フィンク監督は守備の強化を図り、攻撃面ではイニエスタを中心とした攻撃をシンプルに整理した。就任時の13位から8位まで順位を浮上させ、天皇杯ではチームを優勝に導き、クラブ初のタイトルをもたらした。