さらに研究チームは、「せっかくなら身近な天体も」との発想から月や人間にまで着目し、それらが蒸発するまでの時間も計算しています。
その結果、月や人間のような小さく低密度な物体でも重力によるペア生成でいずれ消滅するものの、完了までには約10⁹⁰年(1の後に0が90個続く年数)もの気の遠くなる歳月を要すると見積もられました。
(※厳密には人体や月が蒸発するまでには約10⁸⁶~10⁸⁷年とされます。)
これは宇宙最後の白色矮星が消える時期(約10⁷⁸年)よりもはるかに後になります。
言い換えれば理論上は、ホーキング放射だけを考えると、人間や月のような密度の低い物体ほど『蒸発』がゆっくり進むため、白色矮星よりもさらに長期間存続する可能性がある、という奇妙な結論になります。
今回の研究はただ計算しただけではない
論文では、境界としての地平線を仮定せず、球対称かつ漸近平坦な重力場中での質量ゼロスカラー粒子のペア生成を、共変摂動論という量子場理論の手法で厳密に計算しています。その結果、「事象の地平線なしでも、曲率(重力ポテンシャル)の傾きが十分大きければ、仮想粒子対が現実の粒子へ分離する」ことが示されました。
具体的には、ペア生成率を求める波動関数のボゴリューボフ係数を解析的に展開し、その振幅から生じるエネルギー損失を天体の質量エネルギー減少として読み取ります。こうして得られた「蒸発時間 τ は平均密度 ρ の −3/2 乗に比例する」(τ ∝ ρ⁻³ᐟ²)という新しい法則は、ブラックホールだけでなく中性子星や白色矮星、さらには月や人体といったあらゆる重力源に適用可能であることを理論的に裏付けています。
「なぜ事象の地平線を持たない普通の物体にも量子蒸発が起きるのか?」という問いへの答えは、まさに“重力ポテンシャルの曲率そのものが量子ゆらぎのペア生成を引き起こす”という量子場論的予言が存在し、それを具体的に計算で確かめたからにほかなりません。