第三の「社会変動について」は、『社会学評論』39・40(1960)における「社会変動」特集の巻頭論文である。社会変動論は「巨視的」で「遠視的」な性質をもち、「行為の体系に執着する限り」社会変動論は不可能であるという結論は今なお示唆的である。
第四の「理論社会学の性質について」は、九大の初代社会学教授である高田から数代後に教授を務め、のちに阪大でも一緒になった蔵内数太の退官記念論集に寄稿した論文であり、実質的にはこれが高田の遺稿になった。
自身の研究史を振り返り、経済原論に触れつつ恩師の米田庄太郎を回想し、研究する時代も対象地もすべて等価値とする。そして「総合社会学」ではなく、1920年前後に会得した「特殊社会学」に残留することを宣言している。
いずれも貴重な示唆に満ちた論文であり、現在でも味読する価値がある。
若い世代向けの高田理論の要約的な解説
第二の方針は、若い世代向けに高田理論の入門的な解説を掲載することであった。なぜなら、ご逝去が1972年だったので、それからすでに30年が経過しており、若い世代では高田への関心が薄れていたからである。
100冊の著書の大半が古書店になく、どの出版社からも全集版はおろか復刻版さえも出ていなかった。もっと古いマルクス、ジンメル、デュルケム、ウェーバーなどは日本でも盛んに論じられていたのに、なぜか高田保馬だけは数名の方を除けば、ほぼ社会学者の全員から無視されていた。
そこで、これまで私が学んだ数冊の高田論から該当箇所を選び、その著者による「高田保馬」解説論を選択した。
四名の解説論
まずは、大道安次郎「高田保馬」だが、大道は高田が九大教授時代の弟子であり、1953年に『高田社会学』(有斐閣)を刊行したことでも知られる。その成果に基づく本論文は手際よく高田社会学の全貌を要約している。
英語論文は富永の執筆であるが、富永自身の社会学の業績は多方面に及ぶ。ただし、この時期は高田社会学の継承と紹介にも熱心であり、その功績も大きい。10篇近い高田論のうち、高田保馬『社会学概論』の英訳版の巻頭に置かれ、現在まであまり知られていない富永のIntroductionをここでは採録した。