要するに、日米同盟が、国際システムからの「制裁」から日本を救っていた可能性が高いということです。別の言い方をすれば、日米同盟は日本の防衛政策の「許容原因」だったのかもしれません。
防衛政策への科学的アプローチの必要性
これはまったくの私見ですが、日本における安全保障研究や戦略研究における「科学」の遅れが、政策にもあらわれていると推察されます。安全保障や戦略が、科学であると同時にアートでもあることは、わたしも同意します。しかしながら、率直に申し上げれば、日本の防衛政策の立案者たちは、「主観」に比重を置きすぎていたように思います。日本の生存を左右する防衛政策が、関係者の「印象」で決まっていたとするならば、これは衝撃ではないでしょうか。
社会科学がどのように防衛政策の形成にかかわるのかについては、議論の余地があるのでしょうが、アメリカでは「戦略の科学」が学者を交えて追究され、その安全保障政策に一定の役割を果たしてきました。学術的な国家安全保障政策研究の「黄金期」(1945-1961年)において、アメリカが直面する戦略的課題への解決に社会科学者は貢献してきたのです(ただし、アメリカにおいて、社会科学者の研究が、どの程度、実際の国家安全保障政策に影響を与えたのかは、議論の余地があります)。
政治学者のバーナード・ブローディ氏は、核兵器の用途は抑止に限られることをいち早く指摘しました。かれは米空軍参謀本部のアドバイザーとして仕えるとともに、かれの「抑止理論」は、大統領をはじめ政府高官に「核革命」のインパクトを理解するための「メンタル・マップ」を提供したのです。
後にシカゴ大学の政治学教授となるアルバート・ウォルステッター氏は、ソ連の第1撃に対する戦略空軍司令部の脆弱性を分析した「基地使用研究(basing study)」を主管したり、核攻撃からのICBMの脆弱性を硬化サイロによって減少させることを提言したりしました(Michael Desch, The Cult of Irrelevance: The Waning influence of Social Science on National Security, Princeton University Press, 2019, pp. 145-175)。