少なくとも、冷戦終結とソ連崩壊の過程でアメリカが果たした役割を考慮すれば、つまり、アメリカがソ連を衰退させて崩壊へと働きかけて、その強大な脅威を消滅させたとすれば、日米同盟から日本は大きな安全保障上の恩恵を受けていたことになります。その意味では、「吉田ドクトリン」は、日本の大戦略として「成功」だったといえます。
基盤的防衛力も冷戦前後で変化していないとの反論もあるでしょうが、日米同盟に比べれば、その継続期間がかなり短いので、因果の重みは相対的に軽くなると判断できます。
なお、「五一大綱」の策定においては、日米同盟があるにもかかわらず、日米間で公式の協議が行われませんでした。ある当事者は「米国側の立場に立てば、勝手に大綱を作って、(日本を)支援してくれということになる」と指摘しています(同書、106-107ページ)。
同盟とは、そのパートナー国が相互に安全保障のために協力する制度であることにかんがみれば、一方の同盟国が相手国と調整もせず独断で防衛政策を構築しておきながら、有事の際に軍事的支援が行われるはずだと期待することは、戦略の常識からすれば考えられないのではないでしょうか。
新冷戦期においても「五一大綱」を「放置」したことに対して、ある実務者は「無責任だった」と述懐しています(同書、157ページ)。リーマンショック以降、自己主張を強める中国の台頭により変化している東アジアの安全保障環境において、日米同盟が果たす役割はますます大きくなっています。
ある研究では、中国の攻撃的行動はアメリカに抑制されることが実証されています(Andrew Chubb, “PRC Assertiveness in the South China Sea,” International Security, Vol. 45, No. 3, Winter 2020/2021)。そうであれば、2008年以後の日本の安全保障は、引き続きアメリカとの同盟に支えられているといえます。