シンガポールはその顕著な例です。
シンガポールは人口の3割以上が仏教徒という国ですが、政府は建国以来一貫して政教分離と全宗教の平等を厳格に守ってきました。
憲法第12条で「宗教を理由とする差別の禁止」を、第15条で「信教の自由(いかなる宗教でも信仰・実践し布教する権利)」を保証し、実際に政府はどの宗教にも公式な優先権を与えず、厳格な政教分離と監督制度で横並びを維持しています。
また宗教ではなく「シンガポール国民」であることを共通のアイデンティティと位置づけ、多民族・多宗教社会の調和を図っています。
その結果、驚くべきことにこれだけ宗教的多様性に富む小国で深刻な宗教対立が生じることなく、むしろ宗教間の平和と安定が保たれているのです。
統計的にもシンガポールでは宗教に関連する社会的敵対行為が非常に低い水準にあり、多くの国民が「多様性が社会を豊かにする」と感じています。
このように国家が特定宗教を優遇しない環境では、仏教徒が暴力に走る動機も正当化も生まれにくいことが実証されたのです。
宗教を守るはずが社会を壊す――特権政策のブーメラン

今回の研究は、仏教国における暴力の問題を通して、宗教と国家の関係が宗教平和に与える影響を浮き彫りにしました。
そのメッセージは仏教にとどまらず一般化できます。
「どの宗教も状況次第で暴力化し得る」という点です。
決して仏教そのものが他宗教より暴力的だということではなく、逆にどんな平和的教えの宗教でも、国家権力と結びつけば過激化する可能性があるのです。
重要なのは宗教の教義そのものよりも、それを取り巻く政治的環境だと著者らは強調しています。
サイヤ准教授は「平和を維持するつもりで多数派宗教を優遇すると、皮肉にもそれが暴力の火種になることがある」と指摘します。
政府としては多数派宗教を厚遇することで国民の結束や政権の正統性を高め、紛争を防げると考えがちですが、現実には特権を与えられた宗教勢力が暴走し、社会の安定を損ねてしまう「逆効果」が見られるのです。