社会的ジレンマとは、個々人が「合理的」に行為を積み上げても、社会全体では「非合理性」が蓄積して、その影響が個々人に非合理な形で還流するメカニズムといえる。これを本書で「少子化」の原因と対策に応用したのである。

個人の合理性が社会の非合理性をもたらすメカニズム

たとえば2002年の『朝日新聞』投稿記事「自分の夢を追う、自分の価値観を大事にする、ライフスタイルを大切にする、こんな世の中に子供を産めるのか」(6月13日)などに典型的なように、個人の合理性優先の言論がもてはやされた時代では、「自分の夢を追って80歳になった単身者」の介護や看護などは、本人も含めて誰も考えなかった。

しかしそれから20年後に気がつくと、次世代次々世代が減少して、連載第8回で示したように、25年目を迎えた介護保険制度はすでに危機的状況になっている。

社会にとっては合理的でも個人には非合理的な結果も生じる

逆もまた成立して、社会にとっては合理的でも個人には非合理的な結果もあり得る。

たとえば、納税が支障なく進むことは国税庁という行政機関にとっては合理的ではある。しかし、国民にそのためのe-taxを強要すれば、パソコンを保有しない個人や使えない個人にとっては非合理的な結果しか生み出さず、ひいては納税自体が遅れてしまう国民が増えてしまう。結果的に、行政の租税収入がいつまでも確定しなくなるという不合理性が発生する。

フリーライダーを生み出しやすい

事例研究として、海野が行った水利慣行の分析を通し得た結果である「慣行>制度」であれば、合理的にフリーライダーを生み出しやすいが、反対に社会的ジレンマの解決の一つはフリーライダーの防止だから、制度化ができるならば、極力それを目指した方(「慣行<制度」)が合理的と見なされる(海野、2021:155-175)。

制度よりも慣行が強いということは、「価値合理的」に設計された制度よりも、ウェーバーのいう「伝統的行為」が村民全体に普遍化されているためだと解釈できる。しかし合理化は慣行よりも制度を重視するから、フリーライダーを防止しやすいという特徴をもっている。

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