社会学から経済学への転進であるが、そのためにこの人口史観は社会学での後継者を得なかったため、日本社会分析にも威力を持ち得なかった。

人口史観が脚光を浴びたのは逝去後

皮肉なことに1972年に高田が亡くなる寸前、日本の高齢化率は7.1%を突破して、1970年が日本の高齢社会元年になった。これによって初めて人口史観の基盤が日本社会にも現われ、高田社会学の人口史観は少子化と長寿化という日本社会の内圧を解明する重要な理論装置となったと私は考える。

人口増減が政治、法律、経済、思想、文化の分野を変える

たとえば、高齢者が増大したので、2000年4月から介護保険制度が動き出した。少子化が進み、年金制度が揺らぎ、社会保障財源論議が開始され、年金制度の見直しも始まった。また、福祉産業への就業人口は着実に増えてきた。その時期はホームヘルパー資格取得への国民的意欲は高揚した。これらは人口が政治、法律、経済、思想、文化の諸分野を変えつつあることの証明であった。

また現在では、毎年100万人~130万人を超えていた出生数が68.6万人になったので、子ども向けの市場は縮小せざるを得なくなった。それに関連する企業倒産も徐々に増えている(写真)。ただし、少なくなった子どもの医療費は全額国が肩代わりをしているし、すべての高校の授業料でさえも国が負担することになった。

写真 少子化による自己破産企業 (出典)金子、2000:252.

森嶋通夫の活用

先見の明とはいえ、この史観の提出は80年早かった。高田の「遠視力」には脱帽するが、これはむしろ21世紀の少子高齢化の時代に最も有効な社会学理論としての宝庫になるといえるであろう注3)。

その証拠に高田高弟の森嶋通夫が「人口史観」を活用して、21世紀半ばの日本の「没落」を予見した。

日本の没落を予言

森嶋は高田の『階級及第三史観』を「高田の著作の中でも特筆されるに価するものだ」(1999:15)と評価して、20世紀末に『なぜ日本は没落するか』を書くにいたった。