なぜなら社会学的にみれば、「人間の社会的存在」は経済だけに規定されるわけではないからである。
たとえば西洋史でも十字軍に象徴される宗教戦争そして日本史の一向一揆など宗教の力が、「人間の社会的存在」を脅かした例は多い。
また現在でも、定年退職後の生きがいや健康づくりを志向する「精神」によって、その高齢者の活動内容が左右される事例も多々あるからである。そこでは所得や資産ではなく、「精神」の働きが優位を占めている。同時に政治への関心が強ければ、政治理念への同調の方が経済よりも個人を動かすであろう。
高田理論社会学
高田理論は、企業・組織間の「勢力」が経済構造に強く影響するとみる「勢力経済学」と人口増加(ならびに減少)が、社会を変動させるという「人口史観」を大きな特徴とする。後者は図2で示したように、上部構造とされた政治、法律、経済、思想、文化などを変化させる原動力として人口を位置付ける考え方である。
たとえば、人口が増加すれば、たくさんの職種や職場を必要とし、食糧やエネルギー源を国内外に求めざるをえない。それを支援促進するための法律を政治は用意するし、貧困が広がれば、生活保護の認定条件を見直し、国民への一時金の支給など福祉サービスの拡大が実行されることもある。また失業対策のための各種職業支援が強化されたりする。人口史観とは人口を軸として社会現象を解釈する歴史観である。
不遇な人口史観
ただ長らくこの人口史観は不遇であった。なぜなら、高田がこの史観を提出した時代は20世紀前半の日本資本主義の勃興時期であり、それ以降の50年間は経済が社会を変動させた時代であったからである。
すなわちその期間は、商品を作り出す企業生産力の強弱がすべての社会現象の根源にあり、経済が政治、法律、思想、文化などを突き動かすとする「唯物史観」が十分な説明力をもっていた。
河上肇などマルクス主義者との理論闘争
学問的に見るとこの時代に高田は、河上肇を筆頭とするマルクス主義の信者との理論闘争を抱えて、他方では近代経済学の先端を走る位置にいた。