またアカデメイアの建物自体もなくなっており、現在は遺構もほとんど残されていません。
そのため、古文書を頼りにプラトンの遺骨を見つけるという夢は叶わないでしょうが、彼の墓は学生たちによって何百年と見守られてきたと想像できます。

それから古文書には埋葬場所と別に、プラトンの晩年の様子も書かれていました。
特に興味深いのが、プラトンが病で倒れる前の最後の夜について書かれていたことです。
それによると、高熱に苦しんでいたプラトンのためにフルートを演奏する音楽家が呼ばれたのですが、彼はその音楽家のリズム感のなさに腹を立てていたそうです。
問題の音楽家はトラキア(現在のブルガリアやトルコ)というアテナイから遠く離れた地域から連れて来られたそうで、プラトンは異国の耳慣れない音楽に居心地の悪さを感じたのかもしれません。
またそれが高熱で苦しいときだったとしたら尚更でしょう…

古文書にはこの他にも、プラトンが紀元前404〜399年の間にエーゲ海のアイギナ島に奴隷として売られていた旨の記述も見られたといいます。
チームは新たな驚きの情報を求めて、現在もピロデモス写本の解読を進めているところです。
古文書は他にどんなプラトンのどんな秘密を隠しているのか、今後も注目が集まります。
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参考文献
Plato’s burial place finally revealed after AI deciphers ancient scroll carbonized in Mount Vesuvius eruption
https://www.livescience.com/archaeology/romans/platos-burial-place-finally-revealed-after-ai-deciphers-ancient-scroll-carbonized-in-mount-vesuvius-eruption