そしてプラトンは若い頃、ソクラテスに師事し、彼のもとで哲学や対話術を学びました。

その後、プラトンは師匠のソクラテスを中心に据えた対話篇(『ソクラテスの弁明』や『饗宴』など多数)を執筆し、さらに紀元前387年頃、アテナイの郊外にあった「アカデメイア」に学園を開設

学頭として、生徒たちに幾何学や天文学、哲学を教えました。

また彼が60歳になる頃、当時17歳だったアリストテレスがアカデメイアに入門し、プラトンが亡くなるまでの20年間を弟子として過ごしています。

そしてプラトンは晩年を著述とアカデメイアでの教育に従事し、紀元前347年頃、80歳でこの世を去りました。

しかしこれほど偉大な人物でも、彼がどこに埋葬されたのかは正確にわかっていないのです。

これまでの研究で、専門家たちは「アカデメイアの敷地のどこかだろう」と考えていますが、証拠はありませんでした。

ところが、ある古文書の中にプラトンの埋葬場所が記されていたのです。

プラトンの正確な埋葬場所が判明!

その古文書はイタリアのナポリ近郊にある有名な「ポンペイ遺跡」の中から出土しました。

ポンペイとは紀元79年にヴェスヴィオ山の大噴火によって壊滅した古代ローマの都市です。

問題の古文書は1792年に、ポンペイと一緒に火山流に飲み込まれた町ヘルクラネウムから見つかっています。

遺跡からはギリシア語で書かれたパピルス写本が豊富に回収されましたが、どれも黒焦げになって炭化しており、出土当時は容易に読むことができませんでした。

しかし長きにわたる解読作業の末、古文書の一部が哲学者のピロデモス(紀元前110〜紀元前30年頃)によって書かれたものであることが判明したのです。

ピロデモスは過去にアテナイのアカデメイアで哲学を学び、のちにイタリアに移り住んだことが知られています。

古文書の一部
古文書の一部 / Credit: CNR – Lo ‘sguardo’ tecnologico legge i papiri carbonizzati(2024)