ここでいう否定バイアスとは、望まない悪い結果が生じる潜在性を示す情報や出来事、信条を過大に評価することです。簡単にいえば、悪いニュースは良いニュースより人々に強く影響するということです。この否定バイアスも、自己肯定の錯覚と同様に、人間の進化の長い歴史から生じました。日常生活における危険(否定的出来事)は、生死に直結しかねないため、人間は自然選択の過程で、外部環境の危難に敏感になったのです。
人間が持っている否定バイアスは、上記の自信過剰の肯定バイアスと矛盾するように思われますが、かれらは、これら2つのバイアスが、人間の心理において共存すると主張しています。すなわち、人は外部の環境を判断する時は否定バイアスに支配されやすくなる一方で、自分自身の判断や選択、行動を評価する際には自信過剰になりやすいのです。その結果、こうしたバイアスに冒された国家の指導者は、二重に戦争を引き起こしやすくなります。
「否定バイアスは人々を周囲の環境に存在する潜在的脅威に警戒するよう仕向ける一方で、肯定バイアスは人々が生じた危険を頑張って克服する手助けをする」(同上論文、119ページ)。
要するに、国家の指導者は外部の脅威を過大評価して危機感を募らせる一方で、その危険を戦争によって乗り越えることに過度な自信を持ちがちになるのです。ジョンソン氏とティアニー氏は、この仮説を第一次世界大戦のドイツの意思決定のケースで例証しています。
カイザーは、フランスやロシアのドイツに対する意図を攻撃的なものだとみなし警戒していました。その一方で、ドイツの政策決定者は、前述したように、自らの軍事力や戦争における早期の勝利に過剰な自信を抱いてしまったのです。
戦争原因研究の個人レベル分析への「回帰」は、進化論の流れをくむ生物学や心理学の研究成果を取り入れることにより、戦争のパズルの解明を前進させました。その結果、国際関係論における戦争原因研究は、より幅が広くなり、より奥行きが深くなりました。その一方で、人間の心理バイアスに焦点を当てた個人レベルでの戦争原因へのアプローチに、問題がないわけではありません。