実はそもそも、憲法に「戦争放棄」が記されること自体は、珍しくない。『9条入門』からの重引で、フランス(第四共和政)・イタリア・西ドイツで、WW2の後に制定される条文を見てみよう。
フランス「共和国は、征服を目的とした、いかなる戦争も企てないし、その武力をいかなる国民に対しても決して使用しない」
イタリア「国は、征服または人民の自由の侵害の手段としての戦争を放棄する」
西ドイツ「諸国民の平和共存を阻害するおそれがあり、かつこのような意図でなされた行為、とくに侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である」
『9条入門』158-161頁
しかし、と加藤さんはいう。これら仏伊独の憲法はいずれも、戦争放棄という形で国家の主権を制限するにあたり、「相互主義の留保の下に」(仏)・「相互的であることを条件として」(伊)という前提を明記した。要は、他の国ともみんなで一斉になら、戦争を放棄できるよという話で、表現は異なるが西独もそこは同じだった。
これに対して、日本の9条はそうした相互主義に基づかず、自国だけで一方的に戦力や交戦権を放棄する点(だけ)が、特殊だ。しかし制定時には、後に改憲派となる人も含めて、多くの政治家が「日本人ならではの使命として、世界に先駆けて理想を示す!」とそれを礼賛していた。
そうした新憲法への熱狂は、戦前の万世一系、戦時下の八紘一宇といった「日本だけがこんなにスゴい!」と謳う理想が、敗戦でポキッと折れてしまった空白を埋める代償行為ではなかったかと、加藤は述べる。そして、次のような評価を下す。
ほんとうは「特別の戦争放棄」よりも、〔相互的で、他国にも類例のある〕「ただの戦争放棄」のほうが大切なのではないでしょうか。 (中 略) しかし、日本の場合、そのような「相互主義化」ないし「正常化(ふつう化)」に向けての努力は、見あたりません。……むしろ、その逆の動き、「特別化」への動きが、それを「与えた」GHQのマッカーサーと、それを「受けとった」日本国民の側、双方に特徴的に見られるというのが、ドイツ、イタリアと比較した場合の日本だけに見られる特徴なのです。